Taku-yoshida’s diary

“自在に生きる”を創る~JIZAI体🄬エクササイズチーフインストラクター Taku吉田のブログ

【自己紹介~数字で振り返るTaku吉田ヒストリー③~】

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アクティブエイジングで日本を元気に!

JIZAI体🄬エクササイズチーフインストラクターのTaku吉田です。

すっかり日が空いてしまいました💦

毎日更新している方々を本当に尊敬しますm(__)m

  

さて、前回のヒストリー②では小学校卒業時の夢の話で終わっていました。

  

サッカー日本代表の監督”“お寿司屋さん”

  

この全く違った夢を語っていた巧少年は中学校に入学すると、

その夢の続きを歩き続けるべくサッカー部に入部します⚽

  

ポジションはと言うと、ラインズマン線審)”!笑

※本当はGKでした。。。

  

そんなにサッカーが上手ではなく、特別身体能力も高くなかった僕は、

当然と言えば当然ですが、ベンチメンバーでした(^_^;)

それでも試合の日になるとよく監督に呼ばれていました。

 

「おっ、試合に出してもらえるのかな!?」

  

内心期待に胸躍らせながら監督の元へ向かった巧少年を待っていたのは、

  

「おう、吉田!ラインズマンやって。」

  

あっ、そっちですよね・・・笑

  

当時は悔しい気持ちが強かった気がしますが、

今となってみれば、監督は僕の競技に関する知識や、

冷静に試合を俯瞰できる“眼”だけはかってくれてたのかなぁと。

  

チームとしてはなかなか強かった気もしますが、

結局最後の夏の大会では決勝で負けてしまい引退・・・。

試合に出てもいないのに誰よりも涙する巧少年でした笑

  

その後の巧少年に待っていたのは高校受験!

当時高校を選ぶ時に考えていたのは、

 

「将来スポーツドクターになるなら理数系かなぁ!?」

  

という単純だが将来を見据えた選択の仕方。

ここで“日本代表の監督”⇒“スポーツドクター”へと、

僕の夢は変化(進化)していました。

  

ほどなく自分の思っていた理数系の学科に進学した巧少年。

当然サッカー部に入りスポーツドクターへの道を進むのかと思いきや、

なぜか帰宅部という道を選び、ここで一度道を踏み外します💦

  

しかしここに至るには中学での部活引退後からの伏線が・・・。

  

当時高校受験に邁進していた巧少年の体重は、

卒業時には引退した時より10kgオーバー!!

当然動けるはずもありません。

  

そしてその後の巧少年の体重(体型)はどうなったかと言うと、

その後も順調に成長を続け、高校2年生の時にはさらに15kg増え、

  

  

人生MAXの86kg!!

  

  

当時僕には“ムーミン”というあだ名がつけられていました♪笑

  

さすがに制服が着れなくなるという危機感を感じた巧少年は、

一念発起でダイエットに挑戦!

  

結果は・・・、2ヵ月で10kgの減量に成功✌

とは言え動けるカラダにはまだまだ程遠い状態・・・。

それ以上減ることもなく、いよいよ卒業後の進路を決める時期。

  

帰宅部となりブクブクに太っていた巧青年が選んだ進路はと言うと・・・、

  

『スポーツトレーナーを目指す専門学校』

  

ツッコミどころ満載ですよね💦

  

でもね、ここだけは少しだけ自慢でして、

サッカー少年が日本代表の監督を志し、それがスポーツドクター、

そしてスポーツトレーナーへと変化(進化)した。

 

自分がどんな状況に置かれようとも、

この気持ちは一切ブレることがなかったんです!

  

そして今も、紆余曲折いろいろありましたが、

パーソナルトレーナー、インストラクターをしている、

この“夢に対するどこまでも真っ直ぐな姿勢”だけは、

唯一僕の誇れるところかなぁって思ってます(^^)

  

  

さて、そんなこんなでスポーツ系の専門学校に進学した巧青年は、

その後どのような人生を歩むのでしょうか!?

  

続きはヒストリー④でお伝えすることにします!

お楽しみに♪